プロヴァンス生地とトワル・ド・ジュイの歴史

イル・シュル・ソルグ

歴史と特色

プロヴァンス生地は、16世紀末に東インド会社によってマルセイユにもたらされたインド更紗に影響を受けた染色の製法が原点と言われています。

 それまでフランスでは、色鮮やかな模様がプリントされた布地がなかったため、インド更紗の新鮮さに庶民から貴族まで大いに魅了されたようです。
ルイ14世時代、サロンの花形で書簡文学の担い手として知られるセヴィニエ夫人もプロヴァンス生地をドレスに取り入れています。
 インド更紗の染色方法は、プロヴァンス生地やトワル・ド・ジュイに反映され、独自に発展して行きます。特にトワル・ド・ジュイはルイ15世の公式寵妃ポンパドール侯爵夫人やブルボン王朝最後の王妃マリー・アントワネットにも愛され、ドレスや帽子、インテリアなどに積極的に取り入れられました。ヴェルサイユに近いジュイ・アン・ジョサスにあるトワル・ド・ジュイ博物館:http://www.museedelatoiledejouy.fr/には、ルイ16世とマリーアントワネットがこの町にあったジュイの染色工場を訪れた様子の描かれたジュイが展示されています。

 一方、18世紀にこのインド式プリント技術を発展させたプロヴァンス地方は、豊かな土壌で天然染料の原料に恵まれていたため、この地方独特の鮮やかな色使いにオリーブ、ひまわり、ラベンダー、ぶどうや麦、セミ等、自然から取り入れたデザインを施したプリント地を次々に生み出して行きます。
 一時はインドから呼ばれた職人たちがプロヴァンス地方オランジュに住んで、その技術をフランス人に伝えたため、インドの染色技術とプロヴァンス地方独特のモチーフが絶妙な融合を遂げて、プリント地に反映されました。
 プロヴァンスだけではなく、アルザスのミュールーズなどフランスのあちこちに広がった染色技術でしたが、その後、この染色織物産業はフランス王とローマ法王との軋轢などに利用され、歴史の波にもまれるはめに。

 フランス王の政策の犠牲となって一時は衰退したものの、20世紀に再び人気の出たプロヴァンス生地ですが、一枚の布地をコットンに染色する作業は細かく段階にわかれ、複雑なデザインを生み出すには幾重にもプリントしなくてはいけないため手間が大変で、次第に染色工場が撤退してしまいます。
 経営上の問題を抱えている布地工場も少なくなく、欧州経済危機が追い討ちをかけたこともあり、老舗のアトリエも中国に拠点を移したり、日本の会社とライセンス契約をしたり、廃業に追い込まれたりしているのが現状です。残念なことに今ではいわゆる伝統的なプロヴァンス生地を生産するアトリエは、フランス国内にごくわずかしか残っていません。